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ものづくりの現場を変える「考える手」


Thinkerの事業の核は、近接覚センサーを搭載したロボットハンドの開発だ。大阪大学発の技術である近接覚センサーは、赤外線の反射光量から対象物との距離と姿勢を同時に計測する。独自開発のAIと組み合わせることで素材ごとの反射特性を推測し、従来のカメラシステムでは認識が困難だった鏡面や透明な物質の認知をも可能にしている。
このセンサーを実装した同社の製品が、ロボットハンド「Think Hand F」と、そのパッケージ製品である「Thinker Model A」だ。「Think Hand F」は、近接覚センサーを備えたインテリジェントフィンガーにより、人間のように対象物を「なぞり、まさぐって、つかむ」動作が可能になった。不揃いなものや、柔らかいもののピッキングにも柔軟に対応する。「Thinker Model A」は、「Think Hand F」にカメラシステムとロボットアームを統合したパッケージ製品だ。「対象物を認識させるワーク登録も、搭載カメラで撮影するだけなので、専門知識がない方でも1分程度で新しい部品を覚えさせることができます」(取締役CTOの中野基輝氏)
Thinkerのロボットハンドの大きな特徴は、ハンドの関節部分に近接覚センサーを内蔵し、なおかつ柔軟機構平板で柔らかさを持たせた独自の構造にある。この昆虫の触角や猫のひげのような仕組みは、指が触れた時の柔軟機構平板の傾きの変化をセンサーが察知して、ハンドでの手探りや衝突回避を可能にしている。

「これまでの産業用ロボットは、いかに正確に動くかを競ってきました。しかし、我々の考え方は真逆。あえて柔らかさを持たせることで、センサーがその変化を読み取り、さまざまな状況にも適応して物体の状態を把握することができます。柔らかい構造と近接覚センサーの相性は非常に良く、Think Hand Fでは3次元的に計測することができます」
小型エッジAIによる「脊髄反射」の実現
Thinkerのハンドのもう一つの特徴は、指先に搭載された小型エッジAIだ。従来、ハンドはアームからの命令に従うだけの道具である場合が多いが、Thinkerでは何をどうつかむかの最終判断をハンドが行う。従来のロボットにおける制御の主従関係を逆転させているのだ。
「一般的な産業用ロボットにおいて、ハンドはあくまで付属品に過ぎず、コントロールの主体は常にロボットアーム側にあります。一方、私たちのシステムではハンドが主人公であり、アームはハンドを目的地に運ぶための乗り物です。このハンド主導の制御が、他にはない器用さを生み出しています」
この考えるハンドに直接搭載されている小型エッジAIはThinkerが独自で開発したものだ。
「クラウドを介した大規模なAIを使ったカメラの処理システムで解析し、位置を知らせて作業を行うという方法もありますが、答えを待っている間に、ロボットは対象物を押し潰してしまいます。一方、我々のエッジAIは1000分の5秒で応答します。これを繰り返せば1秒間に200回計測することが可能で、人間が熱いものに触れた瞬間に手を引っ込める『脊髄反射』のように応答できるのです」
中野氏は、今、ものづくりの現場で求められているロボットハンドについて交通インフラに例えてこう指摘する。
「従来のロボットは『ゆりかもめ』のようなもの。専用レールの上をスケジュール通りに走るからこそ無人化できますが、実際の製造現場は想像以上にぐちゃぐちゃなんです。今の現場で求められているのは、状況に合わせて自らハンドルを握る『自動運転車』のようなロボットだと思っています」
少量多品種生産の現場で人の手作業を自動化する
ものづくりの現場でThinkerが目指すのは、少量多品種のロングテール市場への展開だ。汎用性の高い、自ら考えるハンドを投入することで、人間が手作業で行わざるを得なかった領域の自動化を一気に押し進めようとしている。
経済産業省が2025年10月に公表した「AIロボティクス戦略の方向性の骨子」においても、人手不足対策としてAIとロボットの一体導入や、少量多品種のロングテール市場への展開が不可欠とされている。しかし、日本の製造業の現場には、自動化を阻む特有の課題が根深く存在している。
「例えば、樹脂部品を注文に応じて袋詰めをする工程。部品を選別する専用装置(フィーダー)を作るにはコストが見合わず、かといって高性能カメラを導入すればシステム価格が跳ね上がってしまいます。さらにティーチングに専門エンジニアが必要となれば、結局は『人を雇って手作業で行うほうがコストを抑えられる』という結論になり、自動化があきらめられてきました。私たちのシステムは誰でも直感的に扱えるインターフェースなので、写真を撮るだけで部品の登録ができ、注文ごとに変わる少量の袋詰め作業の自動化も可能になります」
続けて中野氏は、ある製造工程を例に挙げる。「金属粉末をプレス機で押し固める粉体成形という技術があります。成形直後の部品はカロリーメイトのようにもろく、少しの力で崩れてしまいます。これまでは人がピンセットを使い、手先の感覚だけで慎重に扱ってきましたが、Thinkerのハンドは指先の感覚があるので、これを絶妙な力加減でつかむことができるのです」
このように、Thinkerの技術が真価を発揮するのは、属人的で、人の勘に頼らざるを得なかった現場だ。
「少量多品種の現場では、扱う部品が頻繁に切り替わります。月に1000個しか作らない製品のために専用設備を設営しても、費用対効果は得られません。Thinkerのハンドであれば、バラ積み状態からでも対象物を器用につかみ取ることができるので、高価な専用設備を導入することなく、既存の環境のまま多種多様なタスクをこなせます。これこそが、私たちが提供できる最大の価値です」
人の勘を再現するThinkerのハンドは、少量多品種の現場が乗り越えられなかった自動化の壁を、今まさに打ち破ろうとしている。

徹底して現場に寄り添う開発
中野氏とCEOの藤本弘道氏は、かつてパワードスーツの開発を手がけていた「ATOUN」という会社で、開発リーダーと経営者として苦楽を共にした仲だった。世界一のパワードスーツメーカーを目指して開発に打ち込んでいたが、コロナ禍に入り開発は中止となり、会社は清算に至った。そんな失意の中にいた中野氏に、藤本氏が「大阪大学の小山佳祐氏が開発した画期的な近接覚センサー技術を使って、一緒に世界を変えないか」と声をかけたのだ。
「パワードスーツは人を助けるものでしたが、近接覚センサー技術はロボットそのものを進化させるもの。パワードスーツが『人とロボットの協調』であったのに対し、Thinkerの製品は『生物とロボットの融合』。直感的に『これだ!』と思いました」
そんな中野氏の開発哲学の根幹には、常に生物への観察眼がある。「猫のひげはどうしてあんな形なのか、昆虫はどうやって素早く障害物を避けるのか。工学的な正解だけを追うのではなく、生物がなぜその形、その動きを選んだのかという歴史からヒントを得ています。これがThinker独自のアルゴリズムにつながっています」
現在、Thinkerのエンジニアは15名ほど。中野氏がチームの開発で意識していることは、「視線のシフト」だ。「よくある失敗は、メカ屋はメカのことだけ、ソフトウェア屋はコードのことだけを考えてしまうことです。でも、真に器用なロボットを作るためには、その境界線をなくさなければいけません。メカ屋が電気屋の目線を持ち、ソフトウェア担当がハードの物理的な制約を理解する。それが重要です」
専門分野に閉じこもるのではなく、ハードとソフトが融合することで初めて、生物のようなしなやかな強さがある技術が生まれる。この視線をシフトする開発体制こそが、Thinkerの技術力を支えている。
さらに、現場の声に寄り添い、道具として使いこなしてもらうことも重要視している。「これまで何度も現場に足を運んでヒアリングしてきました。優れた道具は、高機能であるということではなくて、人がコントロールできることなんです。テレビのリモコンのように、説明書を読まずとも直感的に扱えるシンプルさが必要です。エンジニアとしては、ついいろいろな機能を盛り込みたくなるのですが、そこをグッと堪えて、あえて『余白』を残すようにしています」
むやみに多機能にはせず、余白をつくることで、現場の人間が自ら工夫して使える余地を生んでいる。「技術自体が問題を解決するわけではないと、いつも念頭に置いています。現場では何が馴染みやすいのかを実物を見ながらヒアリングし、どのようなサービスにして、どうパッケージするかを見極めます。実際に使われるシーンまでをデザインしないと、プロダクトとして成り立ちません」
近接覚センサーという一つの技術から始まった製品が、現場に求められるシステムへと進化した背景には、「現場の本音を丁寧に汲み上げてきたプロセスがある」と中野氏は振り返る。

フィジカルAIの潮流も追い風に、ロボットハンドの始祖へ
今、中野氏は世界的な「フィジカルAI」の潮流に可能性を感じているという。AIが物理的な身体を持ち、現実の世界に関与していくフェーズにおいては、ハンドの重要性はこれまで以上に増していく。
「ロボティクスやメカトロニクスと呼ばれるこの領域は、数年前まで『オワコン』だと冷ややかに見られていた時期がありました。『今はソフトの時代だ。ハードの時代は終わった』という声を何度も耳にしましたし、投資家たちの関心もソフトウェア企業にばかり向いていました。ところが、近年のAIブームと、それに伴うフィジカルAIの波によって、状況は一変しました。今、一気にハードウェアへの揺り戻しが来ているのです」
現在は、喫緊の課題を抱える中小製造業の現場からの引き合いが中心だが、今後は、あらゆるロボットボディメーカーとのタイアップを加速させていく構想だ。
「ボディの形状が産業用アームなのかヒューマノイドなのかは、本質的な問題ではありません。人々が本当に求めているのはロボットそのものではなく、解決策なので、市場が求めるものに対応していきたいと考えています」
また、日本が抱える製造業のロングテールという課題に対しては、「設備導入を担っているメーカーとのタイアップは非常に重要だと考えています。たとえ優れたロボットが登場しても、既存の加工機やプレス機といった専用設備がすぐに消えるわけではありませんから。そのような専用設備とロボットが高度に連携する仕組みが必要になると思っています」と中野氏は話す。
将来、ロボットが社会に普及するにつれ、設備や建物といったインフラとのシステム連携が不可欠になると中野氏は見ている。
「例えばスマートホームでは家自体がロボットの中枢となり、家電と連携しています。それと同様に、工場や建物自体が巨大なコントローラーとなり、内部のロボットや設備と高度に連携する世界が来る。その際、シミュレーションの世界とリアルの世界をつなぐ唯一の接合点になるのが、実際にモノに触れるハンドの部分なのです」
「シミュレーションとリアルの間には必ず誤差が生じ、従来の硬いロボットではそれが衝突事故の原因になるはずです。しかし、Thinkerのハンドは物理的な柔らかさを持つため、その誤差を吸収するクッション材になれる。誤差が縮まれば、シミュレーションにかかる膨大な計算コストを削減でき、消費電力の低減にもつながると考えています」
安全で省エネなロボット運用は、企業が抱えるエネルギー課題やランニングコスト問題の解決策にもなっていく。
今後のThinkerにとって、「海外市場という視点はもはや欠かせないもの。アメリカ、中国、ヨーロッパ、シンガポールのロボットには非常に注目している」と中野氏は話す。世界中のロボット市場が黎明期にある今、Thinkerはハンドの分野で「ファーストペンギン」として世界へ飛び出そうとしている。
「中国メーカーなどが格安で人間の手を模したハンドを出していますが、ハンドの器用さは、人間の神経回路の部分や関節の柔らかさと連携しているので、いわゆるメカ屋さんが考えたハンドというだけでは限界があります。実は、ヒューマノイドを作っているメーカーは案外、ロボットハンドを作っていません。今後、世界中のどこでロボットが作られたとしても、ハンドだけはThinkerを選んでいただきたいと考えています」
ロボットハンドは今、かつてパーソナルコンピューターが世界を変えたときと同じような歴史的な分岐点にあるという。
「コンピューターが専門職の機械から、一般コンシューマー向けへと進化していった歴史は非常におもしろくて、IBMのような巨人に無名のスタートアップが挑み、そこから今のGAFAMが生まれていきました。私たちが目指すのは、ロボットが家庭やオフィスに普及していく際の始祖になること。将来、街で見かけるヒューマノイドに当たり前のようにThinkerのハンドがついている。それが、私たちの描く理想の姿です」
唯一無二の近接覚センサーという技術は、生物の歴史に学びながら現場で使いこなせるツールに昇華し、使う側の声を聞きながら、日々進化を続けている。世界中の手元を支えるインフラをつくろうとしているThinkerの挑戦は、ロボット産業の景色を、鮮やかに塗り替えていくだろう。

J-Startup KANSAIについて
経済産業省の「J-Startup」プログラムの地域展開として、令和2年9月に「J-Startup KANSAI」が開始されました。関西から世界へはばたく有望なスタートアップを選定し、内閣府のスタートアップ・エコシステム拠点形成事業と連動しながら、公的機関と民間企業が一体となって集中的な支援を行う取り組みです。現在までに75社が選定されており、近畿経済産業局を中心に、地域ぐるみで起業家を応援・支援する仕組みを構築。地域が起業家を生み育てる好循環(=「エコシステム」)の強化を目指しています。
PEAKS MEDIAでは、この「J-Startup KANSAI」の趣旨に共感し、関西発のイノベーションを可視化し、製造業をはじめとする産業界との新たな共創を生み出すことを目的に「J-Startup KANSAI特集」を開設しました。選定スタートアップの皆様へのインタビューを通じて、テクノロジーの可能性や事業への想いを発信し、社会実装や産業連携のヒントを広く共有することで、関西発のスタートアップ・エコシステムの発展をメディアの立場から後押ししています。

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