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対話からはじまるイノベーション——CIC Tokyoが紡ぐ“新結合”の現場|CIC Tokyo 加々美 綾乃

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東京・虎ノ門ヒルズビジネスタワーの15階。エレベーターを降りると、まるで日本の路地を模したような廊下が現れる。ここは、世界5カ国10都市に拠点を展開する「CIC(Cambridge Innovation Center)」のアジア初拠点「CIC Tokyo」だ。約6000平方メートルの空間に330社を超える企業や団体が入居し、スタートアップから大企業、行政機関、研究者まで多様なプレイヤーが集結している。世界10都市に展開するCICの累計入居社数は1万社を超え、これまでに744億米ドル以上の資金調達を支援してきた実績を持つ。

「イノベーションは新結合だと考えています。いかに新しい人たちが出会って新しいアイデアを生み出していくかが重要です」

そう語るのは、CIC Tokyoでライフサイエンス分野のスタートアップ支援を担当する加々美綾乃氏だ。博士号取得後、文部科学省に入省し、日本医療研究開発機構(AMED)の設立に関与。その後、MIT留学を経て2021年にCICに転職した。行政と民間、日本と海外、研究とビジネス—さまざまな境界を越えてきた加々美氏の視点から、日本の製造業が直面するイノベーションの課題と、その実践的な解決策を聞いた。

プロフィール

CIC Japan合同会社 CIC Institute アシスタント・ディレクター 加々美 綾乃

加々美綾乃氏は、博士(理学)を取得後、2012年に文部科学省へ入省。ライフサイエンス政策の企画・推進を担当し、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の設立にも携わる。その後、2017年にマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学し、修士課程にてスタートアップエコシステムの研究を行う。

帰国後は、内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局、文部科学省にて核融合分野の政策業務に従事。2021年よりCIC Japanに参画し、現在はCIC Instituteのアシスタント・ディレクターとして、ライフサイエンス分野のスタートアップ支援や、海外展開に向けた伴走支援等を行っている。

人材流動性の低さが生む「見えない壁」

日本の製造業がイノベーションを起こすうえで最大の障壁となっているのは何か。加々美氏は、その根本にある構造的な問題を指摘する。

「なぜアメリカが強くて日本がなかなかうまくいかないのか、根本的なところに戻って考える必要があります。アメリカは人材の流動性が激しく、例えばバイオテック領域だと、アカデミアの人がスタートアップで研究者になったり、企業で研究していた人がアカデミアに戻ったりします。みんな同じ業界にいますが、ポジションをどんどん変えていくのが特徴です」

一方、日本では「一つの会社に就職したら、そのポジションでキャリアを歩む」のが一般的だ。研究所採用なら研究所のみ、営業なら営業といった具合に、部署を越えた人材交流も限定的になりがちである。
「日本の製造業に限らず、みんな一つの会社、一つの部署にいる期間が長い。そうすると、自分と他の人が違う言語を使ったり、同じ日本語なのに違う意味で使っているということに気づきません。だから話が伝わらないという経験がないわけです」

この「見えない壁」こそが、異業種連携やオープンイノベーションを阻む要因となっている。アカデミアとビジネス、大企業とスタートアップ、異なる業界同士—それぞれが使う「言語」が違うことに気づかず、表面的な交流に終わってしまうケースが多いのだ。

CIC Tokyoには、大企業の新規事業部、スタートアップ、行政機関、研究者、VCなど多様な組織が入居している。「行政の人の隣に大企業の人がいて、大企業の人の隣にスタートアップのCEOがいます。みんな違う文化のもとで仕事をしているため、本当に違う世界の人がいるということをここで知ることができます。まず慣れてくることが大切です」と加々美氏は説明する。

「会話を続けるしかない」—信頼関係構築の現場

では、こうした「壁」をどう乗り越えるのか。加々美氏の答えは明快だ。

「正解は本当に会話を続けるしかないと思っています。経験していくしかありません」

ただし、日本人にとって異業種の人との会話は決して容易ではない。CIC Tokyoでも当初は、入居者が「オフィスの中にこもってしまって外に出てこない」状況があったという。そこでCICが取り組んだのが、「外に出たくなる仕掛け」づくりだった。キッチンにコーヒーを置く、コミュニティイベントを開催する、最新トレンドを解説するセミナーを実施する—こうした工夫によって、「オフィスの中にこもっていてはダメ。外に来るといろんな情報があります」というメッセージを発信し続けている。

特に象徴的なのが、毎週木曜日に開催される「Thursday Gathering」だ。これは姉妹団体のVenture Café Tokyoが主催するイベントで、スタートアップに関わる人たちが集まって交流を深める場となっている。

「日本人はネットワークを作ることが苦手です。名刺交換から始まるので、なかなか自然な雰囲気で話せません。そのため、日本だけネットワーキングの練習をやっています。2人組で寸劇のように、『こんな風に会話を始めればいい』と実演します。イベントの開始時は毎回先導するようにしています」

こうした取り組みの結果、「違う会社、違う業種の人だけれど、話が合って何か一緒にやりたいと思った」という成功体験が生まれる。その積み重ねが、異業種連携への心理的ハードルを下げていくのだ。

「意識的に成功体験を積み上げていくことが重要です。外の人と話して何か一緒にできそうだと思ったという体験を作って、それを積み重ねていくことが大切だと思います」

 CIC Tokyoでの成功事例として特に注目されるのが、AI研究開発を手がけるSakana AIだ。2023年9月に創業メンバー3人でスタートした同社は2024年9月にはNVIDIAを大株主に迎える大型資金調達を実現。CICのフレキシブルなオフィス環境と、多様性に配慮した設備(授乳室、祈祷室、バイリンガル対応など)が、グローバルな人材を抱える同社の急成長を支えた。

Thursday Gatheringの様子。
Thursday GatheringhaはCICが展開するグローバル共通のコミュニティイベントで、毎週木曜日16時-21時の間で開催される。
毎週多様なテーマでセミナーなどが企画され、多くの参加者が集まる。
事前予約をすれば誰でも参加でき、多様な参加者とネットワークを拡げる場となっている。
各フロアにオープンラウンジ、共用キッチン、ドリンクコーナーが設置されている。
通路をただの移動手段ではなく「立ち話が自然に生まれる場」として設計せれているオフィス空間。
入居者同氏の出会いの場となるような「誕生日会」などのイベントも多数開催されている。
コミュニティのキッチンスペースの一角は、アイデア募集の張り紙や名刺と共に課題共有が行われているなどCICに集うメンバーの情報共有の掲示板として機能している。

技術とビジネスの間に立つ「翻訳者」の役割

日本の製造業がイノベーションを推進する上で重要な役割を果たしているのが、CIC Tokyoの「CIC Institute」だ。2023年4月に設立された同組織は、スタートアップ支援に特化した日本独自の取り組みとして、CIC Tokyo立ち上げメンバーでもある名倉勝ディレクターが設立した。

CIC Instituteの最大の特徴は、技術とビジネスの間に立つ「翻訳者」としての専門性にある。スタッフの約4割が博士号を、7割が海外経験を持つなど、極めて専門性の高い人材がそろい、大企業とスタートアップのマッチング支援を行っている。

「大企業とスタートアップでは、同じ技術について話していても、見ているポイントがまったく違うんです」と加々美氏は説明する。「大企業はスケジュールや確実性を重視し、スタートアップはスピードや柔軟性を優先する。そのギャップを埋める役割を、私たちが担っています」

現場では、大企業がスタートアップに対して「すでに製品が完成している」と誤解するケースが少なくない。実際にはまだ開発途中であったり、実証段階にあることが多く、こうした認識のずれが積み重なると、信頼関係の構築や協業の進行に支障をきたすこともある。CIC Instituteでは、こうしたギャップに対し、大企業には開発の進捗やリスクを正確に説明し、スタートアップ側には大企業の期待値や要求水準を丁寧に伝えることで、双方の認識を調整し、円滑な連携を支えている。

このように、「技術の翻訳者」としての機能を果たすことで、より実効性の高いマッチングが実現している。その一例が、CIC Tokyoを通じて出会ったIHI検査計測(IHIグループ)とPFUによる共同開発だ。両社は、廃棄物処理の過程で混入するリチウムイオン電池をX線とAI技術で検知するシステムを開発。発火・火災といった社会課題の解決を目指している。

現在は町田市と連携した実証実験を進めており、2025年度の製品販売を見込む。CICという「場」が、異なる専門性を持つ企業同士を結びつけ、社会課題解決につながる具体的な成果の一例と言えるだろう。

このような成功事例が生まれる背景には、CICの豊富な支援実績がある。CIC Instituteは2023年度だけで94社のスタートアップを支援し、2024年には約20のプログラムを実施。エネルギー、ライフサイエンス、ロボティクス、AI、量子コンピューティング、宇宙、スマートシティなど多岐にわたる分野で、ディープテックスタートアップの成長を後押ししている。その実績とノウハウは大企業同士の連携でも発揮されているのだ。

「マッチングするためには、各社の技術や強みを技術レベルで理解していかなければなりません。私たちのチームには技術系の専門性を持つ人が多いのは事実です。それを理解した上で大企業ともつなげるので、マッチングの確率も高いし、うまく組み合わせられると思っています」

しかし、マッチングが成功してもPoC(概念実証)で止まってしまうケースが多いのも現実だ。この課題についても、加々美氏は現実的なアプローチを示す。

「PoCの結果として、すべての新規ビジネスが大企業のゲートステージを通過するわけではありません。しかし、それ自体を悲観的に捉える必要はなく、むしろ、PoCを通じてユースケースを創出できたこと自体が、スタートアップにとっては大きな資産となります。仮にその企業との展開が難しかったとしても、得られたユースケースを他の企業に展開することで、より適したパートナーとの接点が生まれる可能性があります。私たちとしては、そうしたユースケースの価値を最大限に活かし、次なる機会につなげていくためのコーディネートを積極的に行っていく考えです」

CIC Instituteのメンバー、それぞれが高い専門性を持ってスタートアップや大企業のプロジェクトに伴走している。

福岡・大阪でも発揮する「地域の強み」の活かし方

CICは現在、世界5都市10拠点で展開している。日本では東京に続いて、2025年4月に福岡、2026年春には大阪にライフサイエンス特化型拠点を開設予定だ。

各地域への進出は、それぞれの特性やポテンシャルを見極めた戦略的な判断に基づいている。福岡について加々美氏は「人口が増えているし、スタートアップもここ最近すごく盛り上がってきています。アジアに近いというのもあります。大企業もあり、行政もイノベーション創出に前向きです」と評価する。

大阪については「基盤となるビジネスの上に、いかにしてテクノロジーをかけあわせるかが重要です。関西にはビジネスの力と大企業の力があり、行政の力もあるので、すごくポテンシャルがあると思います」と期待を示す。一方で、地域展開には共通する課題もある。「日本でよくあるのは、イノベーションに必要なパーツは揃っているけれども、横のつながりが少ない」と加々美氏は指摘する。この課題解決のために、CICでは各地域の「強みと弱み」を詳細に分析し、CICのネットワークを活用して不足部分を補う戦略を取っている。

例えば、茨城県との連携では、つくばエリアの豊富な研究機関と研究者という資産を活かしつつ、不足している「ビジネスサイドの人材」を他の都市圏から誘致するという取り組みを行った。

「つくばは東京からも行ける距離ですから、CICのネットワークを使って東京から人を引っ張ってきます。あるいは愛知などの製造業系の人を引っ張ってくる。足りないリソースをネットワークで補って、つくばに集めます」

その結果、「つくばに対する関心はあるものの、どこから接点を持てばいいかわからなかった」という投資家や事業会社の担当者が、CICのプログラムを通じてつくばを訪れ、投資や事業化に繋がるケースが生まれている。

ただし、こうした地域展開のノウハウは「コピーできない」難しさもあると加々美氏は率直に語る。「自治体、その場所によって強み弱みは全部違います。まずその強みは何なのか、その弱みをどうやって補うのかという戦略は、場所によって全然違います」

福岡や大阪でも過去の勝ち筋を単純に水平展開するのでは無く、その土地固有の強みと弱みを丁寧に紐解くことが重要になるだろう。

CIC Fukuoka。アジアの玄関口である福岡で日本進出を目指す海外スタートアップや地方発のイノベーションを牽引する企業や団体が入居する。:提供CIC Japan合同会社
日本生命保険が大阪中之島に来春頃開業すると発表した創薬やヘルスケアなどライフサイエンス分野の企業やVCなどが集積する拠点。運営をCICが担う。:提供CIC Japan合同会社

「軋轢を恐れず、ちゃんと対話を」—価値ある失敗が重要

日本企業には特有の課題がある。担当者の異動問題だ。

「3年単位で仕事が変わるという、日本企業の慣習は信頼関係を醸成する上で障壁になっていると思います。例えばスタートアップと大企業の担当者が打ち解けて、腹を割ってディスカッションできる関係にまで至り、『何かやれるようになった』と思ったら、担当が変わるケースが往々にしてあります」

しかし、加々美氏はより根本的な疑問として、大企業の新規事業やオープンイノベーション担当者に向けて、こう問いかけた。

「大企業の皆さん、ちゃんと『違う』と言えていますか?起業家や研究者は結構自由で、企業が依頼した通りに研究や協業で期待した結果を出してくれないことがあります。それを日本人は指摘せず、伝えずに『ちょっと合わないな』と感じて関係を終わらせてしまうことが多い印象です。本当はそれって契約に反することだから、きちんと対応してもらわなければいけない」

日本では相手に配慮するあまり、本音を伝えることためらってしまう傾向がある。だが、それがかえって、両者の信頼関係の構築や前向きな修正の機会を遠ざけ真の連携を阻む要因となっていないか、製造業で新規事業やイノベーション推進を担う読者に向けて、加々美氏は強いメッセージを送る。

「今後は中途採用で、今までの自分たちの組織カルチャーには存在しなかった人たちを迎え入れ、多様なバックグラウンドを持った方々を活用しないことには、企業の成長は難しいと思います。しかし、多様な人材を取り込む過程では、会話が噛み合わない、考え方が一致しないといった軋轢が必然的に生じます」

日本人は一般的にこうした軋轢を避けたがる傾向があるが、加々美氏は敢えて真逆の提案をする。

「やっぱり腹割って話せるようになる、軋轢を恐れないということが重要だと思います。新しいものを取り入れよう、今までとは違う人が入ってこようと思ったら、その軋轢は避けられません。そこを恐れずに、起きたとしてもそれを『失敗した』と受け止めるのではなく、軋轢を乗り越えて何をやっていくか。本当にそこを乗り越えた先に、手を取り合って進んでいける体制があるのだと思います。そういう新しいトライをして、いっぱい怪我をして大変な思いを経験しましょう。その先に新しいものが見えてくると思います」

失敗から学ぶために、CICでは大企業のオープンイノベーション担当者同士のコミュニティ形成にも力を入れている。

「大企業のオープンイノベーションの担当者は、会社の中では異端の立ち位置だったり、事例やノウハウが貯まっていないケースがあります。そういう人たちを集めて横でつなげると、『うちの会社はこういうところでうまくいかなかった』『うちはこういうふうにして社内を通した』といった情報交換ができます」

こうしたコミュニティから生まれるのは、失敗談だけではない。むしろ、同じ課題を抱える仲間との出会いによって、新たな挑戦への勇気と具体的な解決策が見つかることが多いのだ。

イノベーションは「対話」から

取材を通じて印象的だったのは、加々美氏が一貫して「人と人が対話を重ねること」の重要性を強調していた点だ。イノベーションを生み出す起点として、異なる立場・異なる視点を持つ人々が出会い、言葉を交わすことの意義を繰り返し伝えていた。CICのオフィス空間やイベントは、まさにそうした対話が自然に起こるよう設計されている。「対話の場」そのものがCICの最も大きな資源であり、そこでは技術的な知見の交換以上に、互いの価値観や背景を知るプロセスが大切にされている。

日本の製造業が直面する課題は、必ずしも技術や資金の不足ではない。むしろ、分野や文化の異なる人々が出会い、共に試行錯誤を重ねる「場」と「プロセス」が不足していることに、本質的な問題があるのかもしれない。

完璧な解決策ではないかもしれないが、「会話を続ける」「軋轢を恐れない」「頻度を高める」といった地道な取り組みの積み重ねから、確実に成果が生まれ始めている。製造業の現場で新規事業やイノベーション推進に取り組む読者にとって、加々美氏のメッセージは単なる理論ではなく、明日から実践できる具体的な指針となるはずだ。その第一歩は、隣の部署の人との会話から、社外のイベントへの参加から、そして「軋轢を恐れない」マインドセットから始まるのかもしれない。

PEAKSMEDIA編集チーム

PEAKS MEDIAは、製造業イノベーションをテーマに松尾産業㈱が運営するWebメディアです。大変革の時代に悩みを抱えるイノベーターの改革を1歩後押しする情報、製造業をもっと面白くするヒントとなる技術や素材、イノベーションを推進するアイデア、取り組みを取材し発信しております。読者の皆様からのご意見や、取材情報の提供もお待ちしております。

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