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Anittoを生んだ越境——ロート製薬の獣医師が現場に立ち続ける理由|ロート製薬 能美君⼈

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毎週土曜日、能美君人氏は動物病院の診察室に立つ。平日はロート製薬でコンパニオンアニマル事業の責任者として新規事業を牽引しながら、週末は現役の獣医師として目の前の動物を診る。

「現場の感覚を風化させたくなかった。立っていないと、その感覚は失われていってしまうんです」

臨床獣医師から大阪大学大学院での再生医療研究を経て、製薬企業の事業開発へ。能美氏のキャリアは、多様なフィールドを越境し続けてきた連続だ。だが、その根底には一本の線が通っている。「人と動物をとりまく環境を、もっと健全にしたい」という思いだ。

動物医療と製造業、一見遠く離れた世界に思えるかもしれない。しかし、現場の課題を構造から変えようとして越境し、組織のリソースを使って新規事業を立ち上げた能美氏の歩みは、業界を問わず変革に挑む人たちに、多くの示唆を与えてくれる。

プロフィール

能美君⼈ ロート製薬株式会社 コンパニオンアニマル事業グループリーダー/獣医師/医学博士 

北里大学獣医学部卒業後、臨床獣医師を経て、大阪大学大学院医学系研究科にて再生医療研究に従事し、医学博士号を取得。2021年にロート製薬へ入社し、現在はコンパニオンアニマル事業ブランド「Anitto」を牽引。人と動物のウェルビーイング向上をテーマに、新たな価値創出に取り組んでいる。 

現場の「サステナブルじゃない」に気づいた日

大学で獣医学を学び、卒業後は動物病院の臨床現場に入った能美氏は、当初、純粋に「動物の命を救いたい」という思いで走り続けていた。しかしほどなくして、理想と現実のギャップに直面する。獣医療には人の医療のような保険制度がなく、夜間・休日診療も多い。拘束時間が長い中でも、現場には「動物のために」という強い使命感を持った人たちが集まっていた。だからこそ能美氏は、そんな志を持つ獣医師や看護師たちが、日々の負荷の中で少しずつ疲弊していく現実に課題感を抱くようになった。

「みんな、想いを持って真剣に取り組んでいるのに、誰もあまり幸せになっていない。助けたいという思いが強ければ強いほど、自分たちが削られていく。そんな矛盾をすごく感じていました」

それでもやめられなかったのは、動物が元気になっていく姿を見たときに込み上げてくる歓びが、何にもかえがたかったからだ。だからこそ、「この仕組みそのものを変えられないか」という問いが、少しずつ能美氏の中で大きくなっていった。

「自分が開業すれば、目の前の人たちにより良い環境を提供することはできるかもしれない。ただ、それでは自分が関われる範囲に限界があり、影響も一時的なものになってしまう。もっと広く、多くの人に価値を届ける方法はないか――そう考えたとき、大学教員という道が自然と頭に浮かびました」 

そこから先の行動は、本人いわく「軽率だったかもしれない」ものだった。つてもなく、特別な相談もせず、1人で大阪大学医学系研究科の博士課程に飛び込んだ。動物医療から人間の医学研究へのフィールドチェンジ。周囲の獣医師仲間からは理解されないこともあったが、それでも能美氏は一人で進んだ。

アカデミアの道へ進んでからも、能美氏は臨床の現場を離れなかった。博士課程在学中も週に2〜3回は動物病院で診療を続け、研究と臨床の両軸で経験を積み重ねていった。 

「現場の感覚と課題感を風化させたくなかった。当時から自分を頼りにしてくれている患者さんがいたので、その子たちに答え続けたかった」。医学部に進んだ獣医師が臨床をやめてしまうケースが多い中、能美氏は現場を手放さなかった。この二足のわらじの苦労は、後のロート製薬での底力になる。「どんな壁が来ても、あのときに比べれば大丈夫という感覚になります」と能美氏は言う。当時の経験があるからこそ、やりたいことに全力で向き合える今の環境のありがたさを、人一倍実感している。

入社半年、打ち上げの席での「今すぐやったらええやん」

大阪大学の眼科の研究室を通じてロート製薬と接点を持った能美氏は、2021年にロート製薬へ入社する。研究開発部門で目薬の有効成分研究に携わりながら、獣医師としての臨床も続けた。「複業を認めている会社だとは知っていましたが、面接で『臨床はやめないで』と言われたときは驚きました。普通は『本業に集中してほしい』と言われるものだと思っていたので」

転機が訪れたのは、入社から半年ほどが経ったころだった。研究発表会の打ち上げの席で、会長の山田邦雄氏と話す機会があった。

「一番の目的は感謝を伝えることでした。入社してみたら想像以上にいい会社で、その気持ちを伝えたかった。それに加えて、こういう会社が動物業界に参入してくれたら必ず良い方に向かうと思う、という話をしたんです。具体的に何かやりたい、やります、という話ではなく、本当に世間話のつもりで」

だが返ってきた一言は違った。「いつかじゃなくて、今すぐやったらええやん」。

能美氏はその言葉に驚いた。事業を自分が立ち上げるとは想定していなかったし、心の準備もなかった。

「普通はしないことだと思います。人を信じて任せるというロート製薬らしさが凝縮されたような出来事でした」

ゼロからのスタートで頼りになったのは、同じ部門の事業開発畑の部門長だった。「その方がいたから今があると思っています。0から1を生み出した経験が豊富な方で、ビジネスの重要なところをディスカッションしながら形にしていくプロセスを、ほぼ2人でやっていきました」。

こうして誕生したのが動物とそのそばにいる人が、ともに健やかに過ごせる未来を目指して誕生したロート製薬初のアニマル事業ブランドAnitto(アニット)だ。獣医療の現場で感じた課題を起点に、ロートが長年培ってきた研究の知見を活かし、治療だけでなく、予防や日々のケアにも寄り添う製品づくりを進めている。 

写真提供)ロート製薬

研究費と売上、「決定的に違う」と気づいた日、——研究者から事業家へ

アカデミアの研究者から事業開発に移った能美氏が、最も大きく感じたギャップは何だったのか。

「やはり数字です。どんなにソーシャルグッドな仕事であっても、数字を意識しないといけないし、それがない状態では何も語れないというのは、決定的に違うところでした。研究費を獲得するときは、ビジネスとして具体的にどれだけ儲かるかという話をしなくていい。しかし企業の事業開発は全く違う」

入社当初は「マーケティングとは何かというくらい、ビジネスへの理解度が低いレベル」だったと、能美氏は率直に振り返る。その感覚を身につけるために選んだ方法は、とにかく枠を設けずに学ぶことだった。社内の営業部門や事業開発系の部署に顔を出し、社外のカンファレンスにも積極的に参加した。音声コンテンツツや書籍からのインプットも欠かさない。Web3やブロックチェーンなど、直接の実務とは関係のない勉強会にもあえて参加した。

「インプットを続けていると、目に入るもの全てがビジネスを含めた人の営みの結果に見えてくるんです。道を走っている車を見ても、道路一本とっても、これができあがるまでにいろんな人が関わっているんだなと。そういうふうにどんどん拡張して考えられるようになってくる」

カンファレンスを通じたネットワークも財産になっている。「自分を知ってもらうことで、動物業界のことに少なからず触れてもらえる。それがいつどこでつながっていくかわからない。ロート製薬という名前を出すと、相手がきちんとこちらを向いてくれる。そのブランドを最大限に活かしながら、ネットワークを広げています」

学びを加速させたのは、ロート製薬の社風でもあった。フリーアドレスで個室がなく、経営層も含めて誰でもフラットに話せる環境だ。「現場でこういう課題がある、こんなことをやりたいと話すと、みんなが自然と“自分ごと”として考えてくれるんです。事前に細かくアポを取ったり場を整えたりしなくても、すぐに動いてくれる。そのスピード感や距離の近さが、プロダクトの細かなブラッシュアップや新しい発想につながっています」 

そして心理的安全性の高さも、思考の幅を広げた。「どこで何を話しても、この人に話すのが怖いとか、あまり思わなくていい。そういう環境があることで、いろんなアイデアや発想が生まれやすくなる」。こうした文化の背景には、経営層が自身の考えをさまざまな場で本気で語り続ける姿がある。言葉だけでなく、その姿勢を見せ続けることが、組織全体の誠実さを支えているのだという。

土曜日の診察室が、平日の事業を鋭くする

現在の能美氏の1週間はこうだ。平日はロート製薬の動物事業責任者として動き、土曜日は午前と午後、2つの動物病院をフリーランスで回る。

現場に立ち続けることは、事業開発に直結している。

「ヒアリングやインタビューに行くと、相手にとって自分はお客さんになります。しかし病院で同じスタッフとして働いていたら、本当に忌憚のないことを言ってくれる。価格が高すぎるとか、使い勝手が悪いとか。そういう話ができるのは、現場で実際に動いているからです。ロートの仕事に直結していますし、製品ができた後も、普及を進めるフェーズになっても、同じ目線でヒアリングできる」

一方で、「現場に近すぎること」から生まれる課題にも自覚的だ。「自分にとっての当たり前が、ロートの他のメンバーにとっては全く当たり前ではない。それで言葉が足りずに気づかないことがある、と入社3年目のメンバーから指摘を受けました」。だからこそ、相手の話をよく聞くことと、仲間をつくることを意識するようになった。

「チームのメンバーについて、自分以外の誰かからも状況がわかるような関係をつくっておく。自分が直接聞かなくても、別のメンバーを通じてその人の本音がわかるような人間関係を、チームの中になるべく残すように意識しています」

新規事業の旗振り役は、傍から見る以上に孤独な立場になりやすい。能美氏自身も、「リーダーが孤独だということは、実際にやってみて実感しました」と振り返る。そのうえで、「だからこそ、メンバーにはそういう状況にさせたくない」と語る。自分が感じた孤独を、チームには感じさせたくない――その思いが、仲間づくりへの強い意識につながっている。 

週末は獣医師として現場に立ち続ける能美氏 写真提供)ロート製薬

Anittoが目指すもの——「業界を拓く」思想

ロート製薬初のアニマル事業ブランド「Anitto(アニット)」は現在、犬向けのスキンケアラインを中心に展開している。犬の疾患の約3割を占めるとされる皮膚トラブルに向き合い、治療だけにとどまらない日々のケアと予防を目指す。

人向けの知見を動物に転用するにあたって、想定外の壁は多かった。

「考え方がまるで人の場合と違います。まず成分が動物に安全かどうか。毎日入浴させるわけではないので成分が蓄積しないか。動物はなめるので、なめても安全か。使うのは飼い主なので、飼い主が使いやすいか。容器の形や使い勝手も含めて、全て作り込まなければならない。人のデータがそのまま動物に使えないことも多く、人の細胞で出たデータと犬の細胞では異なる結果が出ることもある」

ロート製薬はこうした課題に対し、製品を自社で一貫して製造することで、成分から容器に至るまで細部の作り込みを徹底している。OEMで製造してしまうと難しいこの作り込みの精度が、Anittoの強みだ。ロート製薬がこれまで人向けの事業で培ってきた知見を、動物向けに一から設計し直す。その姿勢が製品の品質に表れている。

実際、現場の獣医師や飼い主からは「使い勝手がいい」という声が多く届いているという。モイストスプレーはテクスチャーがさらっとしており、べたつかない。モイストミルクの容器の形状も、犬の脇や内股などのスプレーが届きにくい患部に直接塗りやすい設計になっている。「中身だけじゃなく、容器も含めて、ロート製薬だから実現できる製品です」と能美氏は言う。人向け製品で長年蓄積してきたノウハウが細部にまで宿っている。

事業として描くビジョンは、製品の販売にとどまらない。

「市場規模が人に比べて小さいのは事実です。だから数字だけを追いかけるだけではなく、それ以外の価値も明確に発信していきたい。たとえば、獣医学部の学生や動物病院のスタッフが、Anittoをきっかけにロート製薬に興味を持ってくれる。すると、既存事業の延長線上ではなかった人材交流が生まれるようになる。それは会社にとって確実に資産に繋がるし、逆に動物業界への刺激にもなり得る」

そしてもう一つのビジョンがある。「今ある市場だけを見ていません。例えば、スキンケアという習慣を動物にも広げることで市場そのものが大きくなり、結果的に業界全体の活性化に繋がる。そして多領域で事業を展開しているロート製薬だからこそ業界を越えた交流も生まれやすくなる。だから既存マーケットのシェアを取りに行くだけでなく、まだ存在しない市場をつくっていく」

数年後には、動物の領域でもロート製薬の名前が当たり前になっている状態を目指したい、と能美氏は言う。「動物のスキンケアといえばロート製薬だよね、という状況になれば、必然的に会社自体にも興味を持つ人が増えていく」

ロート製薬が手掛ける犬用保湿乳液「モイストミルク」。液垂れがしにくい容器を独自に開発するなど、点眼薬で培った知見と技術が生かされている。 写真提供)ロート製薬

動物業界に「優しく」変革する

取材の終盤、能美氏は業界や組織の変革に挑む人たちに向けて、こんなメッセージを残した。

「製造業で、大企業の中でものをつくるというのは、本当に恵まれた環境です。その分、自分がなぜそれをしたいのかを問い続けることが、重要なのではないかと思います」

テクノロジーで業界を一気に変革する方法もある。それができる領域でもある、と能美氏は冷静に認める。しかし、そうした急激な変化は、動物と飼い主を含む現場の関係者に大きな負荷をかけることにもなりかねない。「だから今は、この業界に携わる人たちに寄り添いながら、手触り感のある変え方をしていきたい」

毎週土曜日、診察室に立ち続けるのはその哲学の体現でもある。動物領域でのロート製薬というブランドを育てながら、現場の手触りを失わないまま、着実に。能美氏の越境は、まだ続いている。

画像提供)ロート製薬

この記事の編集者

PEAKSMEDIA編集チーム

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