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プロフィール

椎野 友介(しいの・ゆうすけ) 日本生命保険相互会社 安心の多面体企画部 ヘルスケアアライアンス担当部長
日本生命に入社後、保険営業を経て関西経済同友会の財界活動サポートに従事。2023年2月より中之島クロス・O-Nexusプロジェクトに参画し、日本生命側の担当として施設の立ち上げを主導する。
■ 異色の組み合わせが生み出すライフサイエンス分野特化型イノベーション
大阪・中之島は、江戸末期に蘭学者・緒方洪庵が「適塾」を開いた地として知られる。西洋医学を日本に広め、福澤諭吉ら多くの人材を輩出したこの場所は、近代以降も金融・研究・医療・学術の基盤が集積してきた。
その地に2024年に開業した中之島クロスは、この歴史を現代のライフサイエンスで更新することを掲げる拠点だ。未来医療推進機構がコンソーシアムを統括し、研究から事業化、臨床、バイオバンキングまでを一体化した「アンダーワンルーフ」の場として設計されている。
館内にはIntuitive Surgicalの西日本トレーニングセンターやロート製薬、京都大学iPS細胞研究財団、iPSポータルなどが集積し、研究から事業化・臨床までの流れが一棟で完結する実装志向のエコシステムが動き出している。その中核の一つとして、8~9階に位置するのがO-Nexusである。プライベートオフィス123室に加え、コワーキングスペースや会議室を備え、日本生命とCICという異色の組み合わせが、ライフサイエンス領域の共創と事業化に新たな可能性をもたらそうとしている。
日本生命の関与は、単なる施設利用にとどまらない。同社は中之島クロスの約50%を保有するオーナーでもあり、不動産投資としての意思決定も伴っている。ただし本プロジェクトは当初から「単純な不動産投資ではない」という前提で議論が進められてきた。
「投資として見れば、従来型のオフィス開発の方が合理的な選択肢です。収益性だけでなく、将来産業への関与や、日本の将来産業に関わるシーズを社会実装するというコンセプトに共感し、参画を決断しました」(椎野氏)
また、創業の地への想いも大きい。「“東京に移ったのでは?”と思われている方も多いのですが、実は本社はずっと大阪です。この場所で何か貢献できればという思いが根底にありました」
その背景には、「生命保険だけではお客様に真の安心を届けきれないのではないか」という危機感と、再生医療や最先端医療の現場に身を置こうとする強い意志がある。同時に本プロジェクトは、日本生命が中期経営計画(2024~2026年度)で掲げる「安心の多面体」構想——生命保険を中核に、アセットマネジメントやヘルスケア、介護、保育へと領域を広げていく戦略——を具体化するフロントラインでもある。
椎野氏自身にとっても、このプロジェクトは特別な意味を持つ。日本生命に入社して約20年、これまで担ってきた生命保険の役割は「何かが起きた後」に金銭的に支える、いわば事後的な支援が中心だった。それは重要な機能である一方で、「その前の段階に関われる可能性」に強い関心を抱いたという。
「本来の保険は、病気や死亡といった出来事の後にお支払いをする仕組みです。ただ、もしその前の段階で、そもそも病気にならないような仕組みに関われるとしたら——。そういう領域に挑戦できるのは本当に面白いと感じました」
O-Nexusでの取り組みは、まさにその“前段”に関わる試みでもある。新たな技術やサービスが生まれる現場に身を置くことで、保険の枠を超えた価値創出に直接関われる可能性がある。
こうした動きは組織の変化とも重なる。2026年3月にはヘルスケア事業部やライフサポート事業部、イノベーション関連部門が統合され、「安心の多面体」推進を担う新組織が立ち上がった。これまでヘルスケア、介護、保育といった領域は縦割りで分かれていたが、顧客視点ではそれらは連続した価値として捉えられるべきものだ。統合により部門横断の連携が進み、よりシームレスにサービスを提供できる体制が整いつつある。
「例えば中之島クロスでの取り組みも、ヘルスケアだけで完結するものではありません。介護や保育、医療機関支援など、グループとして持つ機能を横断的に組み合わせることで、より大きな価値が出せると思っています」
現在は“点”として存在する取り組みを“面”として統合し、将来的には新たな領域の探索も見据える。そのための装置が中之島クロスやO-Nexusである。アカデミアや企業が集積するこの場で最前線の情報に触れ、それを自社事業へ還元する。外部プレイヤーとの連携を通じて、保険の枠を超えた価値創出の基盤づくりを進めていく。
「関西は再生医療をはじめライフサイエンスの強固な基盤がある地域です。その強みを生かし、新たな産業創出を支援する拠点にしたいと考えています。当社単体の価値というよりも、社会への貢献という観点で捉えています。自治体やスタートアップ、企業とつながる“ハブ”として、この旗印に様々なプレイヤーに集まっていただきたい」(椎野氏)

■「20年を15年に」——日本生命×CICだからこそ実現できる
本プロジェクトへの関与が具体的に動き出したのは2023年2月頃のことだ。当時、日本生命では関西経済同友会代表幹事を務める副社長・三笠裕司氏の財界活動の中で、「中之島クロスが1年後に開業する中、日本生命としてどう関わっていくべきかを検討する必要がある」との問題提起がなされ、その具体化に向けた検討がスタートした。
しかし当初は、自社として持ち込める研究テーマや技術があるわけでもなく、関わり方を模索する状態が続いていた。そうした中で浮上したのが、米国発のイノベーション拠点運営企業CIC(Cambridge Innovation Center)の存在である。関西経済同友会を通じて「CICが大阪に関心を持っている」との情報がもたらされ、2023年5月に初めて接点を持つこととなった。
そこで共有されたのが、CICが掲げる「物理的な近接性がイノベーションの確率を高める」という思想だ。大学・企業・行政・投資家・起業家といった多様なステークホルダーが同じ場に集い、相互に関わり合うことで新たなアイデアや事業が生まれやすくなる——いわゆるステークホルダーモデルである。
MITの研究でも、オフィス間の距離が近いほど共同研究や新たなコラボレーションが生まれやすいことが実証されており、これは「近接効果(The Proximity Effect)」として知られている。コロナ禍を経てオンラインでの接点が広がった一方で、偶発的な出会いや深い関係構築という点において、リアルな場の価値は改めて見直されつつある。イノベーションに再現性のある“成功法則”はないが、人と人が出会う環境を設計することで、その確率を高めることはできる——。こうした発想は、リスクと確率を前提に事業を組み立てる保険会社の思考とも親和性が高い。
※ MITの研究者Matthew Claudel氏らが2004~2014年のMIT発論文約4万件・特許約2350件を分析した研究(2017年)。同一ワークスペースにいる研究者は400メートル離れた研究者と比べて共同研究の発生確率が3倍になることが示された。CICの創業者Tim Rowe氏はMIT卒業生であり、この研究知見をコミュニティ設計の哲学的基盤に置いている。
こうした共感を起点に、日本生命とCICの連携が進み、O-Nexusの立ち上げへとつながっていった。
「私自身、CICを訪問し、施設や設備のクオリティに加え、スタッフの方々のホスピタリティの高さ、何よりもさまざまな企業が垣根なく混ざり合うオープンな雰囲気に感銘を受けました」
CICへの期待は大きく二つある。一つはコミュニティの醸成。もう一つは、椎野氏が「真似できないもの」と語る、世界各地に広がるリアルな拠点ネットワークだ。
ライフサイエンスの研究開発には通常20~30年を要するとされる。特に健康寿命の延伸に寄与する先端医療や希少疾患領域では、患者数の観点からも当初からグローバル市場を見据えなければ投資回収は難しい。「他の拠点なら20年かかる研究開発が、ここなら15年に短縮できるような環境をつくりたい。そのためにCICの役割は非常に大きい」と椎野氏は言う。
CICはボストンやフィラデルフィア、ワルシャワ、ロッテルダムなど世界各地に拠点を展開し、スタートアップ、投資家、研究者、大企業が日常的に交差する“実働するコミュニティ”を形成している。各拠点で築かれる関係性はプロジェクトを通じて継続的に深まり、実際の事業機会へとつながっていく。
「中之島という場所にいながら、ボストンとの距離が日本のどこよりも近い——そういう拠点にしてほしいと伝えています」
単なるネットワークではなく、現地の意思決定や市場機会に接続される関係性を生み出せる点にこそ、CICの価値がある。
CIC JapanでO-NexusのDirectorを務める石飛恵美氏も、起業家やスタートアップがDay0からグローバルを目指せる基盤構築の重要性を語る。
石飛氏は、2026年4月1日の就任以前、大阪産業局が運営する大阪イノベーションハブで約10年にわたりスタートアップ支援に携わり、関西のエコシステム形成を内側から支えてきた人物だ。
「関西はライフサイエンスに強い土地です。行政と民間の距離が近く、スタートアップ支援のプレイヤーも充実しています。一方で、海外との継続的なネットワークを持つ組織はまだ限られています」
CICはMIT出身者によって創業され、Kendall Squareに根差しながら独自のネットワークを築いてきた組織である。世界各地のリアルな人脈に加え、O-Nexusにはバイリンガルスタッフが常駐しており、日本のスタートアップや研究者が海外展開する際の言語的・文化的な障壁を低減する役割も担っている。

■ プレイヤーをつなぎ社会実装のスピードを加速させる
O-Nexusで生まれた取り組みをいかに社会実装へとつなげていくか。
研究開発や技術の高度化だけでは、社会実装には至らない。最終的にユーザーに届け、使われ、価値として定着していくプロセスが不可欠であり、その“最後の距離”を埋める機能を担える点に、日本生命の独自性がある。
同社は単なる場の提供者にとどまらず、自らもプレイヤーとして関与する。新会社Nissay MIRAIQAの入居をはじめ、スタートアップ投資を手がけるニッセイキャピタル、ニッセイ基礎研究所による調査・分析機能、さらにはニッセイ病院などの医療機関との接点など、グループ内の多様なリソースを横断的に接続していく 。その中で、日本生命ならではの強みとして椎野氏が挙げるのが「ラストワンマイル」の力だ。
「全国に約5万人の営業職員がいます。フェイス・トゥ・フェイスで全国津々浦々のお客様のもとへ行ける。スタートアップが新しい健康増進サービスを地域で実証したいとき、そのフィールドとして機能できる余地があります」
また、日本生命が蓄積してきたヘルスケアデータは大きな可能性を秘めており、それをスタートアップの研究開発にどのように活用していけるかは、今後の重要なテーマの一つとなる。
もっとも、O-Nexus単体で全ての機能が完結するわけではない。施設自体はオフィスであり、ラボや臨床といった機能は外部との連携が前提となる。とりわけライフサイエンス領域では、研究機関や医療機関との接続が不可欠であり、京都や神戸といった周辺エリアとの連携も含め、広域でのネットワーク構築が求められる。
「関西は理系や医学系の大学も多く、シーズの質も非常に高い。この恵まれた環境をいかにうまくつないでいくかが重要で、関西ならではのエコシステムを活かしたい」 (椎野氏)
まずは場を整え、多様なプレイヤーが集まり、相互に関係性を築く。その中から新たな価値を立ち上げていく——。こうしたプロセスを重視しながら、段階的に可能性を広げていこうとする姿勢がうかがえる。すでに、多様なプレイヤーを巻き込みながらスタートアップの成長を後押しする体制を構築しつつある。
AI活用が進むライフサイエンス分野においては、計算基盤やデータ環境といった高度なリソースの確保も大きな課題となる。こうした点に対して、日本生命はソフトバンクと連携し、スタートアップがAIモデル開発や事業化に必要とする基盤へのアクセスを支援する取り組みを進めている。単に空間を提供するのではなく、成長に必要な機能そのものを組み込んでいく設計だ。
O-Nexus内に「ものづくり相談窓口」を設ける東大阪市もまた、このエコシステムの重要な構成要素の一つだ。同市は10年以上にわたり大阪大学と連携し、医療分野における試作・製造支援に取り組んできた。東大阪は約5,500の製造業が集積し、「街全体が一つの工場」とも言われるほどのものづくり基盤を有する。 企業や研究者からの相談を起点に、最適な町工場を選定し、開発・試作・製造へとつなぐ。小ロット試作や初期段階の曖昧な相談にも対応しながら、 これまでに1,200件以上の相談案件を手がけてきた実績を有する。
こうした取り組みが一体となることで、研究開発、資金、技術、そして実装までが一つの流れとして接続される。個々のプレイヤーでは越えにくかった壁を、エコシステム全体で乗り越えていく——O-Nexusは、そのための装置として機能し始めている。

■「まず会うことから始まる」——中之島から世界へ
インタビューの終盤、椎野氏は保険営業時代の記憶を語り始めた。
「大阪や柏原エリアの中小企業様を担当していました。工場に伺うたびに、社長様が誇らしそうにサンプルを見せてくださる。磨き上げたギア、精緻なメッキ、高精度の研磨——本当に優れた技術を持った企業様ばかりでした」
その体験は、いま取り組むプロジェクトへの思いと重なっている。
「そういった技術を持つ方々に、グローバルな新たな可能性をここで見つけていただきたい。医学の世界と工学・製造業の世界は、考え方も進め方もまったく異なります。でも、物理的に近い場所で顔を合わせ、仲良くなれれば、その壁は必ず乗り越えられる。まずはO-Nexusに来てみてほしいと伝えたい」
この“まず会うことから始める”という考え方は、プロジェクトの推進プロセスにおける実体験から導かれたものでもある。椎野氏は社内の理解を深めるため、関係する役員や部長だけでなく、意思決定に直接関わらないメンバーも含め、関係者とともにCICの東京オフィスを訪れる機会を重ねていったという。
「言葉で説明するより、体感してもらう方が早いと考えました」
この動きに対し、「なぜ意思決定権者でない人まで連れてくるのか」とCIC側が戸惑いを見せた場面もあったという。しかし椎野氏にとって重要だったのは、誰が意思決定するかではなく、「誰が当事者として関わるか」だった。
実際に現場を見て、空気を感じ、人と出会う——そうした体験を共有することで共通言語が生まれ、社内に仲間が広がっていった。現在では法人営業部門が取引先企業にO-Nexusを紹介するなど、会社全体で支える動きへと発展しつつある。リアルに会うこと、同じ場を共有すること——一見遠回りにも見えるそのプロセスこそが、共創を前に進める最も確実な方法なのかもしれない。
椎野氏がその先に見据える未来は明確だ。
「グローバルから見て、ライフサイエンスといえば日本、日本の中でも大阪・中之島——そう言われるような場所にしたい」
その実現に向け、いま最も重視しているのが「成功事例を生み出すこと」だ。大阪府のグローバルスタートアップゲート事業や、厚生労働省の創薬クラスターキャンパス事業も中之島クロスと連動して動き始めている。
「ここを起点にグローバルで成功した企業が出れば、来ることの意義が証明される。その一事例こそが、後に続く人たちへの最大のメッセージになる」
保険の先へ——日本生命が描く「安心の多面体」は、まず中之島からかたちになろうとしている。

Osaka Life Science Nexus by Nippon Life and CIC(O-Nexus)
https://cic.com/tour/tour-osaka/


